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碧辟易碧ブログ
日々の呟き
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1~5まで全て読み終わりました。
結局昨日3巻を返しに行って、返ってきてた4・5巻を借りて、
今日こんな時間(午前7時前)までかかって全部読みきってしまいました。
以下それについての感想です。
初めてマトモな感想文の体を成してるかもしれません(苦笑)
ただ、考えたことをそのまま打ち込んでこうと思うので、順番とか色々無茶苦茶でしょうが。

1巻目を読んだとき、この時点でこんなに人死なせてこれからあと4巻も何するんだろうと不思議に思いました。
まだこの時点では、ミステリーのような話だと思ってたので。
2巻を読んだときもその感想は同じだったんですが、3巻ぐらいからかな、
「屍鬼」の存在に核になる登場人物達が気付き始めた辺りから、
ああこれはこうゆう話なんだなと思いました。
上手く説明できなくてもどかしいのですが。
全て読み終わって思ったのは、人一人一人についてものすごく細かくきちんと描き込まれてて、すごく重い小説だなってことです。
重いっていうのは、話が重いとか、暗いってことじゃなくて、小説そのものがずっしりと重みがあるなって感じで。
最近それこそライトノベルばかり読んできたから、そう思うんだと思います。
やっぱり全然重さ違うものなんだなーと。
「東亰異聞」を読んだ後は、純粋な驚きとそれに付随した喜びが残りました。
その他、小説を読んだ後はやっぱり何らかの、それが良いものにしろ悪いものにしろ、感情が残るものですが、この「屍鬼」に関しては殆ど何かしらの(名前を持つような)感情を持たなかったように思います。
断定形じゃないのは、自分でも曖昧でよく分からないから。
読み終わったのはほんの少し前、それこそまだ30分も経っていない頃なのに、
私はあの時あの話を読み終わって何を感じたのか覚えてません。
多分、いくばくかの寂寥(話が終わってしまうことへの)があったとは思いますが。
それはきっと、屍鬼という存在に対する救済(それは社会的意味などではなく)や、
外場という村の終焉の描かれ方が、細部まで及んでいたわけじゃなくて、ある程度読者自身の想像に任せた部分があったからなんだと思います。
だからなのかはよくわからないんですが、話が完結すると同時に、私のこの話に対する感情もまた完結したんじゃないかという気がしないでもないです。
話が長かったこともあると思いますが、読んでいる間に本当にいろんな感情がありました。
展開への高揚感、苛立ち、恐怖、驚き、悲しみ、切なさ、喜び、楽しみ。
それで、多分色々思うことに疲れちゃったんだろうなと。
でも読後感が悪いわけじゃ決してないから、不思議ですよ。
自分の中でこんなパターンは初めてと言っても良いですね。
小野先生は本当にすごいと改めて思いました。
それは小説の中にあった医学的な知識に対しても思ったんですが、何よりも人間の描写に。
リアルというか、それぞれの性格・性質がすごく上手く活かされてるなと思ったんです。
一番良い例が元子だと思うんですが、彼女はこの小説に最初に出てきたときから、
随分と子供のことに対して強迫観念的なものを抱いていて、それがずっと彼女についてまわってることもずっと描かれてて、そして最後もう殆ど狂信的な状態になって山に火をつけるシーンを読んで、うわぁぁぁと感動しました。
それは他の色んな人に言えることなんですよね。
その人のそれまでの何気ない性質が、その人の最終的な(結果的な)行動の拠り所になっているというか、行動に現れててすごいと思ったんです。
でもってそれは多分、先生自身は結果を先に考えて、それぞれの登場人物の性格設定を行ったわけじゃないんだろうなと思うんです。
ただこういう性格の人達がいて、こういう性格なら最終的にはこういう行動を取るだろうなって感じでだったんじゃないかと思ってます。
自分も最近書くことに対して色々考えるようになったので(そんな大層なものでもないですが)それが如何に凄いことなのか分かるんですよね(それを書けるわけでもないのに、如何にも知ってますみたいな言い方をするのは自分でもどうかと思いますが)
さて、内容について行きますか(前置き長いよ……)
3・4巻のころが特にそうだったんですが、おそらく主役といってもいい静信への苛立ちが凄かったです。
彼と敏夫の2人が屍鬼という存在に気付き始め、敏夫は彼らを再び殺すことを考えるんですが、静信はそれは出来ないと言うんですよ。
そう言って、屍鬼退治から手を引こうとする彼に、凄く苛立ちしました。
屍鬼が人間の敵であることは明らかなのに殺すことに逡巡する彼に、己のその躊躇いが自身だけでなく他の、それこそ彼のようにある種の諦観も何も持たず生きることを望む人間をも巻き込んでしまいかねないのに、そんなことはどうでも言いといわんばかりの(寧ろ屍鬼を殺す方が恐ろしいと考えているかのような)彼に、とてもとても苛々いして、最初は凄く好きだった彼がとても嫌いになりました。
特に4巻で、敏夫が妻の恭子を(悪く言えば)実験体にして、屍鬼への対抗策を模索したことを、まるで悪魔のような所業だと言わんばかりの彼が本当に嫌いでした。
ただ傍観しているだけの(既に屍鬼の退治を諦めた)彼が。
敏夫が好んで妻を実験体にしてたわけじゃないことなんて、そんなの当たり前じゃないですか。
それでもなんとか村を救おうとして、泣く泣く妻を実験体にして屍鬼への対抗策を探っていたのに、どうしてそれを静信に責められなきゃいけないんだと思いました。
彼が、村が滅びようとしているのを、人が次々に死んでいくのを、傍観するのは彼の勝手だと思います。
けれどそれなら彼は敏夫に何か言う権利なんて持たないと思うのです。
彼のことを好きだっただけに、余計に悲しくて辛くて苛々しました。
でも5巻に入って、自分から動き出し、沙子に、屍鬼に味方し、最後は屍鬼になった彼は嫌いじゃなくて、寧ろ好きなんですよ。
だから彼が何もしていなかった、ただ傍観していたことが私は気に喰わなかったのかなと思ったんですが、読み終わってしばらくして多分そうじゃないことに気づきました。
私は多分、もう一つの主人公達であった夏野・かおり・昭、真実に気付き立ち向かおうとしていた彼らの事が悔しかったんだと思います。
彼らは他の大人の誰にも真実を伝えず(もちろん大人は信じなかっただろうし)、自分達だけで屍鬼に向かっていき、そして殺されてしまった(かおりを除いて)んですよね。
読みながら何度も思ったんですよ。静信・敏夫たちと夏野・かおり・昭たちがお互いの存在(つまり屍鬼を知っている存在)に気付いて、手を取り合ってくれたらなと。
でもそれは叶わず、夏野と昭は屍鬼に、彼らの存在に気付いてしまったがゆえに殺されてしまったんですよ。
私はこの小説の中でこの2人の死が一番悲しかったんです。
だからこそ、何もしなかった静信に腹が立ったんだろうと思います。
救って欲しかったわけじゃないんです(そんなのはただの傲慢だ)
けれど敏夫のように何かをして欲しかった。行動で示して欲しかったんです。
それは別に屍鬼に寝返ることでも良かった。人を裏切ることでも良かった。
自分には関係ないというような(勿論そうじゃないんだろうけど、そうとも見える)態度で、あまりに聖人君子すぎる理想主義を掲げそれを他人にまで当て嵌めようとする彼が気に入らなかったんだろうと思います。
でもやっぱり好きなんですけどね。
彼に対して、敏夫には一貫して好感を持ち続けてました。
普段は、大らかというか楽観的で口が悪いけど、いざ異変が起こったら医者としての知識も生かして真っ先に原因を突き止めようとし(医者の義務として当然のことなのかもしれないけれど)、突き止めた原因があまりに迷信めいてみても、そこに確信を抱き具体的な対策までもを見つけ出した彼がとても好きでした。
5巻で、千鶴に篭絡され、全てを投げ出してしまった彼には、やや失望の念を禁じえず、それでももう仕方ないのかもしれない、この人はよくやったと思ったんですが、
そんな思いを良い意味で裏切って、千鶴を逆に槍玉に上げた彼は本当に凄い人だと思いました。
普通、あそこまで孤立したら本当に自暴自棄になると思うんですが、それでもまだ諦めず、独り戦い続けた彼が大好きです。
屍鬼の存在を知り、ようやく認めた村の人が途中暴走し始め、どちらが悪か(最初からそんなもの(善悪)はなかったのかもしれないけれど)わからないような状況になっても、意外にああそうだろうなと受け入れている自分に驚きました。
もちろん美和子や光男たちまでもを一方的に殺したのはさすがにやりすぎだとは思いましたが。
でもそれすらも、やはりなと溜息をつくだけで、多少の悲しみはあったけれど、村人への嫌悪はなかったです。
それは、それまで屍鬼を敵とみなし村人を応援していたくせに、少し屍鬼の立場から描写されたからといって、彼らに同情するようなどっちつかずの、自分にとって都合の良い立場の(つまり信念ではなく安っぽい感情からくるような)態度を自分のプライドが許さなかったからなのか、それとも人間などは所詮そんな醜い生き物だという諦めが先にあったからなのか、それとも私は結局は人間だから屍鬼ではなく彼らの味方をしたかったのかは分かりませんが……(多分全部です)
そんなわけで結局全編を通してほぼ人間側だった私ですが、沙子に対しては一貫して好意と、僅かな憐憫を持ち続けました。
なんだろうな、彼女が人の血を吸う(人を殺す)シーンがなかったからのかもしれませんが、彼女はあまりに人間臭いというか、唯の少女だったんですよ。
確かに一般的という枠からは多少逸脱した考え方を持ってましたが(まあそれは彼女の生きてきた年月を考えれば当然なのかもしれないけれど)、でも彼女は母親を探して彷徨う迷子のように見えたんです。
それこそまさに「神に見放された」ように。
辰巳さんは、初期は好青年然としてて好きだった反面、そのちょっと酷すぎる行為に(逆らう人間には制裁を加えるところとか)嫌いになったりもしたんですが(それでも彼の沙子に対する忠誠心はすごく好きです)、彼女に対してはそれが全くと言っていいほどなかったんです。
年端もいかないうちに人外のものになってしまい、何もわからないまま孤独に生きることを選ばざるを得なくなり(生きたくはないけれど死ぬことはできないゆえに)、
それでもまだ神に振り向いて欲しくて堕ちきることができないままの彼女が、私には憐れだったのかも知れません。
この小説を、もし彼女の視点から全て描いたら、とてもとても切なくて悲しい物語になっただろうと思いますが、でもそれじゃあ安っぽい上滑りの(表面的な)同情とか憐憫は生まれても、この話の本質は描けなかっただろうなと思います。
まぁ、こんな偉そうなこと言ってても、この話の本質が何かまだ掴みきれてるわけじゃないし、完全に理解できるとも思いませんがね。
最後、静信と沙子とそして多分辰巳も(殺される描写がなかったので)生き残って、その後の話なんかも読んでみたいなと少し思ったんですが、でもやっぱりそれは必要ないんだとも思いました。
普段は、ものすごく後日談とか読みたくて仕方ない派なんですが、今回のこの話に限ってはやっぱり必要ないんだろうなと思いました。
何故かは、上手く言葉では言い表せないんですが。
あと、この話には神(様々な意味での)が様々な形で登場しましたが、それがすごく興味深くて考えさせられました。
ただここで自分の神という存在に対する考えを述べていると、ただでさえもうやたらと長くなっている感想文が、果てしないものになってしまうので胸の内に仕舞いこんでおこうと思います。
ただ、今現在自分が受けている宗教学研究で学んだことに、とても近いことが書かれていてそういった意味でも面白かったです。
他にもいろいろ考えることはあるので、(あてにはなりませんが)また適当に感想追加していきたいとも思ってます。
ていうか、これだけの文章投稿できるのだろうか……。
ワードで文字カウントしてみたら4000字超えてたよ……。
原稿用紙10枚分も書いてたのか、自分。
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